弁護士 小賀坂徹です。
核兵器を持つことによって核兵器を使わせない力とする、これが「核抑止力」。
つまり他国に対して、「お前が核を使ったらこっちは倍にして返してやるからな」と脅して、
相手に核を使わせないようにするという理屈。
したがって、相手よりもより優位な力を誇示できなければこの理屈は通用せず、際限なき核軍拡競争に発展していかざるを得ないことになる。
この「核抑止力」論に立った場合、核は常に使える兵器でなければならないことになる。
いつでも核を使えるという前提に立たなければ「抑止」が成り立たないからだ。
核を使わせないために、核をいつでも使える状態にしておくということを、
すべての核保有国が相互にしているのであれば、これは文字通りの「一触即発」の状態といっていい。
これが現実の世界である。このように私たちは地球を滅ぼす核戦争の脅威と隣合わせで生活しているのだ。
ここから脱却するためには、「核抑止力」の呪縛を捨て去り、核兵器の即時廃絶の道に踏み出すしかない。
そのロードマップの作成こそ、世界の叡智を結集して行われなければならない最優先課題だ。
ところで世界最大の核保有国であり、世界で唯一原子爆弾を2度投下した米国のオバマ大統領が核の先制不使用を検討していることに対し、
世界で唯一原子爆弾を2度投下された我が国の首相は「抑止力が弱体化する」との懸念を米国に伝えたと、ワシントン・ポスト紙が15日に報じている。
安倍首相はこのことを否定しているようだが、日本政府は一貫として「核抑止力」論の立場にたっており、
核廃絶も「究極の目標」として遙か彼方に追いやり、
国連総会では、毎年、圧倒的多数で採択されている核兵器禁止条約の国際交渉開始を求める決議についても20年連続で「棄権」していることからすると、
安倍首相の核先制不使用に対する懸念表明は、相当の根拠があると思わざるを得ない。
核の先制不使用は核兵器即時廃絶とはほど遠いが、しかし核を使えない兵器とする「始めの一歩」としての意味はあろう。
特に世界最大の核保有国である米国が宣言する意義は小さくない。
核を使った側の米国の核の先制不使用について、核を使われた側の我が国の首相が懸念を表明するなどということはマンガを通り越して犯罪的といっていいのではないか。
結局のところ「核抑止力」はいつでも使える核の存在を前提とするのであり、その立場に立つ以上、核兵器の存続を求めるしかないのだ。
新しい防衛大臣も、新たな東京都知事も、我が国の核保有は選択肢のひとつといって憚らない女性である。
71回目の原爆忌の直後の核先制不使用懸念報道に触れ、こういう政治家が跋扈するのはさもありなんと思った。
「核抑止力」からの決別、これこそ世界の歩む道であり、本来であれば我が国がそれをリードしていかなければならない。
今からでも遅くない、と強く思う。
弁護士 小賀坂徹です。
8月21日の夕方、三ツ沢スタジアムで開催されたJ2リーグ横浜FC vs.清水エスパルスの試合を観戦した。
もちろん我が心の支え、エスパルスの応援のためである。
J2降格という屈辱を晴らすため、1シーズンでのJ1復帰がエスパルスの絶対的な至上命題であるが、
その視界は必ずしも良好とはいえず、正直毎週やきもきしながらの一喜一憂が続いている。
前週の愛媛戦もエース・テセの2得点で相手を2度突き放しながらも、その都度追いつかれて引き分けに終わっている(泣)。
対する横浜FCは、一時の不調から脱し、ここまで4連勝、しかも7戦負けなしと絶好調できているので、
ホームにエスパルスを迎えた闘いは、いやが上にも盛り上がっていることであろうとの思いでスタジアムに足を踏み入れた。
しかしその瞬間、目を疑う光景が繰り広げられていた。
スタジアムがエスパルスのホームゲームの様相だったのだ。
大袈裟に言っているのではまったくない。論より証拠、両チームのゴール裏の写真をみていただきたい。
(ホーム:横浜FC側)
(アウェイ:清水エスパルス側)
くり返すが、これは横浜FCのホームゲームであり、エスパルスはアウェイチームである。
しかし、どうみてもエスパルスのホームにしかみえないではないか。
メインスタンド、バックスタンドとも同様で、明らかにエスパルスサポーターの数が完全に上回っていた。
確かに東京・神奈川にもエスパルスのサポーターは多い(静岡出身者のサッカー愛はどこよりも深いのだ)が、多くは静岡から駆けつけたサポーターであろう。
隣県とはいえ、リーグ戦の1試合にこれだけのサポーターが大挙して押し寄せている光景は、掛け値なしに鳥肌ものだった。
感動した。
それにもまして心を動かされたのは彼らの『声』である。
もちろん、大人数でのコールに迫力あるのは当然なのだが、それ以上の『力』を感じた。
明らかに彼らは『本気の声』を出していた。
猛暑の中、連戦で闘っている選手たちを励まし奮い立たせようという気持ちは
、その本気の声とともにスタンドの真ん中にいたボクにもすぐに伝わってきた。
そして、それはキックオフ前から、ゲームが終了するまでずっと続いていたのだ。
これには本当に感動した。文字通り胸が熱くなった。
スタンドで観戦しているだけでもこんなに感動するのだから、ピッチで闘っている選手たちはどれほど勇気づけられただろうか。
これは物理的な『力』といっても過言ではないと感じた。
選手たちは間違いなく真剣にファイトしていたし、懸命に走っていた。
気持ちのこもったプレーを続けていた。
彼らの声に後押しされ、エスパルスは絶好調の横浜FCを完全に封じきり、2-0というこの上ない快勝だった。
J1への視界が完全に開けたことを感じさせる勝利だった。
このように人々の励ましの中で、より力を発揮するのはアスリートに限ったことではない。
ボクたちは、辛い毎日の中で、仲間の励ましや気遣いにどれほど支えられ、後押しされているだろうか。
人はお互いに励まし合い、助け合う『力』を備えている。
そして、その励ましを待っている人はたくさんいるのだ。
福島原発の被害にあって、長期の過酷な避難生活を続けている皆さんはまさにその典型だろう。
そして人を励ますことは、自らを励ますことと重なる。情けは人のためならず、であったりもする。
周りをよく見渡し、多くの人と共感し、共存していくこと、このことの大切さをエスパルスサポーターの皆さんに改めて教えられた気がする。
それほど感動的だった。
それにしても試合後のビールのうまかったこと。やっぱり応えられない。
弁護士 小賀坂徹です。
レディへ(Radiohead)の『ア・ムーン・シェイプト・プール』と一緒に、
実はノエル・ギャラガーの『チェイシング・イエスタデイ』も買っていた。
こちらは昨年リリースされたアルバムだけど、相変わらずの安定感であり、聴いてて嬉しくなる。
オアシス解散後のノエルとリアム・ギャラガーの音楽活動をみるにつけ、分かりきっていたことではあったが、オアシスはノエルだったということを嫌というほど思いしらされる。
オアシスはご承知のとおり、ギャラガー兄弟を中心に90年代初頭にデビューしたマンチェスター出身のバンドだが、
彼らはビートルズ、特にジョン・レノンに対するリスペクトをことある毎に口にしていた。
彼らの演奏する『アイ・アム・ザ・ウォーラス』なんかは出色である。
ボクが知らないだけかもしれないけど、イギリス(アメリカも同じ)の世界的ミュージシャンがビートルズ解散後、
ビートルズについて語ることは全くといい程ないか、逆にこき下ろすかのどちらかで、リスペクトしていることを堂々と表明するのはオアシスが初めてだったように思う。
ビートルズが余りに偉大で、同時代あるいは次世代のミュージシャンにとっては、それが克服の対象だったから、
仮にシンパシーを感じていたとしてもそれを口にすることをためらったのかもしれない。
ジョンが殺されて10年を経過して、漸くミュージシャン自身がその呪縛から解放されたのだろうか。
あるいは単純に世代的な「間隔」の問題かもしれない。
いずれにせよ、だから彼らがビートルズやジョン・レノンについて、いちファンとして語ることはとても新鮮で、嬉しかった。
そして、そのサウンドも初期のビートルズのようにロックの「開放感」を体現していて、心躍る感覚にさせてくれた。
オアシスは偉大なバンドとしてその地位を揺るがないものにしていたが
(特に日本のファンが多かったように思う。彼らの曲が何曲も日本の企業のCMに採用されていたことからもそれは明らかである)、
相も変わらずくり返される壮絶な兄弟喧嘩の果てに解散に至った。
冒頭書いたようにノエルがオアシスをきちんと引き継いでいることはありがたいが、
リアムの歌声やスタイルも捨てがたいボクとしては、もう一度2人が揃って演奏しているところを見てみたい欲求は捨てられない。
でも当分は無理そうだ。
レディへといいノエルといい、おっさんも頑張っているのである。